忘れ得ぬことどもII

ムーミン谷から

 キャラクターにもその時々の流行りがあるようで、ある年はリサとガスパールをやたらと見たり、別の年にはミッフィーがしょっちゅう登場していたりと、そういうトレンドを調べてみるとなかなか面白いかもしれません。
 最近(2012年)はムーミンがリバイバルしているようです。ケンタッキーフライドチキンでムーミングッズをオマケにつけているのを見ました。現在CATVのカートゥーンネットワークで再放送しており、マダムが熱心に毎日見ています。
 ムーミンは私も幼いみぎりに見ていましたが、ただ現在再放送中なのは私が見ていた69年ヴァージョンではありません。90年代に「楽しいムーミン一家」というタイトルで放映していたシリーズです。私の知っているムーミンは、CV(キャラクターヴォイス、つまり声の出演)が岸田今日子で、オープニングと言えば

 ♪ねえムーミン、こっち向いて……♪

 という歌でした。90年代ヴァージョンのほうは、ムーミンのCVは高山みなみとなっています。今となっては名探偵コナンの声に聞こえてしまって仕方がないですね。

 ムーミンというのは、フィンランドの女流作家トーヴェ・ヤンソンの創出したキャラクターです。考えてみれば60年代末などという時期に、こんな、あまり縁の無い国のキャラクターを導入しアニメ化した東京ムービーの見識はなかなかのものがあったと思います(ただしこの時のアニメ化は、キャラクターデザイン・世界観などに関して原作者には不評であったそうです)。
 当時、一種の北欧ブームみたいなものがあったのかもしれません。「長くつしたのピッピ」で知られるスウェーデンの児童文学者リンドグレーンが紹介されたのも同じ時期だったように思います。
 リンドグレーンの作品は日本でも全集が出ていたりして、私は図書館から借りてきて片端から読んだ憶えがあります。
 ムーミンシリーズも訳書が出ていましたが、こちらは私は1、2冊しか読んでいません。その挿絵、つまり「オリジナル」のムーミンの絵が、アニメ版とだいぶ違うことは、子供の眼にもよくわかりました。
 また、私たちが「ノンノン」と呼んでいたムーミンのガールフレンドが、「スノークのおじょうさん」という名前でしか出てこないことにも気がつきました。スノークというのは彼女の兄貴の名前ですが、本人には名前がつけられていないようです。ムーミンパパ、ムーミンママなどと同じようなノリなのかもしれません。しかしアニメシリーズにしようとすると不便だったようでノンノンという名前がつけられたのでした。ちなみに「楽しいムーミン一家」のほうでは彼女はフローレンという名前になっており、確かにそのほうが北欧らしい響きではあるものの、旧シリーズに親しんだ私には少々違和感がありました。

 ムーミンはそもそもなんの動物であるかご存じでしょうか。
 マダムはカバだと信じていたようです。同意見の人も多いのではないかと思います。昔読んだマンガで、
 「UFOというのは松任谷由実のことかね?」
 「あれはユーミン!」
 「ばかいえ、ユーミンというのはかわいらしいカバのことだ」
 「あれはムーミン!」
 というボケ&ツッコミを見たことがあります。この作者もカバだと思っていたのでしょう。
 顔の感じや体型、耳や尻尾の様子を見ると、確かにカバのように見えるのですが、原画をよく見ると手は人間と同じ形をしているので、偶蹄目でないことは確かです。
 実はムーミンは「トロル」なのでした。トロルというのは北欧の民話に登場する妖精というかオバケというか、要するに想像上の生き物です。カンガルーみたいに見えるスニフや、人間のように見えるちびのミイも、みんなトロルらしいので、決まった姿のイメージというものはないのかもしれません。原作では、確かスナフキンだけは人間の子供という設定だったように思いますが、記憶が定かではありません。
 普通の民話では、しわくちゃの老人のような姿だったりします。あるいは棍棒を携えた巨人というようなイメージもあって、「ドラゴンクエスト」をやった人はそちらのイメージに親しんだかもしれません。日本語で単に「オバケ」と言っても統一されたイメージが浮かばないように(オバQの姿が浮かんできてしまうのは、まあ措いときましょう)、トロルというのは北欧においては化け物の総称と言って良いのでしょう。
 なお、架線から電気を貰って走るバスのことをトロリーバスと言いますが、スペリングからしてトロルとなんらかの関係がありそうです。集電ボールが、トロルの携えている棍棒に似ていたからでしょうか。

 ヨーロッパの民話や古典文学、あるいは音楽などには、いろんな種類のこういう人外生物が登場してきますが、従来、わりと無造作に「妖精」「こびと」などと訳されてきた気配があります。しかし、日本語のそういう言葉と、原語の持つイメージとは食い違っていることがしょっちゅうあるようです。
 例えば白雪姫を助ける7人の「こびと」は実はドワーフであり、鉱山の妖精です。グリーグ「こびとのマーチ」というピアノ曲がありますが、たぶん弾いてみて首をかしげた人が多いでしょう。日本語でイメージする「小人」がかわいらしく歩いている感じではなく、ドスンドスンとやかましい音を立てて勇ましく歩いている印象なのです。これも実はドワーフです。ドワーフは身長は人間の半分くらいですが、がっちりとした体格で力が強く、横幅は人間と同じくらいあります。こびとと言っても一寸法師のようなものをイメージしては間違います。
 ムソルグスキー『展覧会の絵』の中に、普通「こびと」と訳されている曲があります。これも、かわいらしいというよりは不気味な曲想で、イメージがつかみづらい人が多いようです。原題は「ノーム」で、地中の宝物を護るとされている妖精です。顔は老人のようで、鼻が大きく、やたらと素早いのが特徴だそうです。
 他にも、エルフオークコボルトゴブリントレントドライアードホビットなどいろんな種類があり、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)などをやっているといやでも憶えてしまうのですが、確かに一般の読者にはわかりづらいかもしれません。とはいえ、ゲームなどでかなり知られてもきましたから、こういう妖精など架空の生き物の名前くらいは訳し直しても良いように思います。
 ちなみに日本人がイメージする「妖精」は、ピーターパンに出てくるティンカーベルみたいな、半透明の羽根が生えて飛び回る、手のひらサイズの人間型生物が主なのではないでしょうか。これは正確にはピクシーという種族です。「妖精さんが見えるの」等々と主張するある種の人々が見ているのもたぶんピクシーで、オークやゴブリンが見えているという手合いはさすがにあんまり居ないでしょう。

 ともあれトーヴェ・ヤンソンは、こういう生き物を主人公にして子供向けの小説を書いたわけです。言うなればファンタジーの世界ですので、機械文明や貨幣制度には無縁のはずで、ヤンソンが日本で作られたアニメに文句をつけたのも、自動車が登場したり、スニフがお金にがめつかったりする描写があったからであるようです。
 日本人が作る話は、ゲゲゲの鬼太郎にしろ、オバケのQ太郎にしろ、妖怪なりオバケなりの独自の社会は存在しているものの、かなり密接に人間世界と交差するパターンが多いように思います。完全にファンタジーの世界だけで進行するという物語の作り方が、いまひとつわれわれは苦手なのかもしれません。司馬遼太郎さんが指摘していた「フィクションの構築力の弱さ」と関連しているのかどうか。
 原作者からのクレームがあって、最初のアニメは一時期、原作画を元にしたキャラクターデザインやシナリオコンセプトに改めたことがあったそうですが、こんどは「絵が怖い」「つまらない」という意見が寄せられて、日本国内だけで放映することを条件に、元に戻すことを原作者に許して貰ったという騒ぎがあったとか。
 私が本で読んだ時の違和感がそれだったのでしょう。アニメ版に較べると、原作本の絵ではムーミンや「スノークのおじょうさん」が著しく無表情ですし、ちびのミイはつねに怒ったみたいな顔に見え、確かにとっつきにくい印象があったのは事実です。
 もっとも、その後原作画のほうもけっこう普及してきました。「楽しいムーミン一家」では多少原作に近い絵柄にしてありましたし、昨日ケンタッキーフライドチキンで見かけたグッズの絵も原作画が元になっているように思えます。
 現状ならヤンソンも許してくれそうな気がしますが、この特異な女流作家は2001年に、86歳で亡くなりました。
 フィンランドのナーンタリという所に、ムーミンワールドというテーマパークがあるそうです。いずれ訪れてみたいと思っています。

(2012.4.17.)

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