忘れ得ぬことどもII

『おばあさんになった王女』制作記

大急ぎの音楽劇

 このところ急ぐ仕事があって、少し日誌の更新が滞っています。
 もっとも急ぎと言っても、日がな一日かかりきっているわけでもありません。編曲だとそういうこともあるのですが、今回は作曲なので、ちょくちょく煮詰まって中断したりします。
 大学の作曲科を受験した時は、8時間缶詰めになって一曲を仕上げなければならず、煮詰まっている余裕などまるっきりありませんでした。いま考えると、よくあんなことができたものだと自分で驚きます。今はそんなに集中力がもちません。軟弱になったものです(笑)。
 まあそれはともかく、ここ数日で仕上げなければならないため、そろそろ追い込みというところです。

 作っているのは、小さな音楽劇です。
 小さいとはいえ、曲がりなりにも音楽劇ですので、けっこう手間はかかります。
 普通は半年くらい欲しいところなのですが、頼まれたのは7月の終わり頃でした。さすがに
 「え?」
 とメールを見直してしまいました。
 最初は、『Music Shop』譜面作成サービスのフォームで依頼が届いたのでした。普通これは、パート譜を作るとか、移調譜を作るとか、場合によっては耳コピして譜面に起こすとか、とにかく既存の曲の譜面を作ることを想定しており、そのつもりでメールを開けてみて、実は作曲依頼だったのでびっくりしました。
 今まで、ネットを介して作曲の依頼を受けたことが無いではありません。しかし、これまでは「ネットで知り合った人からの依頼」でした。JOEさんに頼まれて作った『Suite:Sweet Home』や、だーこちゃんの依頼で作った『Nostalgia』ぶんげんさんの委嘱作『愛のかたち〜パラクレーのエロイーズ〜』などが好例ですね。
 今回は、まったく未知の人からで、私としてははじめてのことでした。
 それにしても音楽劇とは!
 私にとってはいちばん力を入れたいジャンルですから、引き受けたいのは山々なのですが、何しろ期限が「9月上旬まで」などと書いてあったので、これは大変だと思いました。
 最初から最後までずっとメロディーがつく、無限旋律っぽい音楽劇ではなく、「歌入り芝居」に近いもののようだったので、少し安心しましたが、独唱重唱取り混ぜて8曲作らなければならないのでした。
 本当に集中できれば、10日くらいでできるかもしれませんが、あいにくと私は、これだけやっていられる状態というわけでもありません。浮世にはさまざまな野暮用があります。外出しなければならない予定もいろいろ入っています。1ヶ月と少しでは、あまり自信がありません。
 ともかくメールに返事を出して、依頼者と連絡を取ってみました。

 まったく未知の人と書きましたが、われわれ音楽家の世界は狭いものでして、ひとりかふたり介すれば、どこかで知り合いの環がつながってしまうのが常です。
 今回の依頼者も、メールをやりとりし、先方の持っているサイトなども確認してみると、共通の知人が沢山居るようなので、思わず苦笑してしまいました。
 何しろ亡くなった大國和子さんの弟子だったというのですから、かなり近いところに居たようです。大國さんにはごく親しくしていただいていました。今年(2011年)のゴールデンウィークには故郷の大社でおこなわれた追悼演奏会も聴きに行っています。
 また、大学や、その後に入った音楽学校などの経歴やタイミングが、うちのマダムときわめて近いこともわかりました。まあマダムはピアノ科でその人は声楽科でしたから、知り合いではないようですが。
 こうわかっても、依然としてご本人は未知の人であることに変わりはないのですが、少し目鼻がついてきたような気がしてきました。

 ソプラノ歌手3人でユニットを組んで活動しているらしく、子供向けにと頼まれた舞台で、オリジナルの音楽劇をやってみようと企画したのがそもそものはじまりでした。
 台本は自分たちで作り──と言っても、私に作曲を依頼してきた時点ではまだ形になっておらず、さすがに私も少々あきれて、7月中に台本を貰えないと無理でしょう、と告げたところ、31日の夜更けになってメール添付のデータが到着しました。急がせて申し訳ないとはいえ、私も大急ぎなので仕方がありません。
 台本を書いたのははじめてだとのことでしたが、けっこうよくできていました。特に歌になるところは、ちゃんとメロディーを欲しがる言葉(実はこれが大切なことで、「うたう」センスの無い作者が書いたテキストというのは、どうにもメロディーになりづらいのです)になっていたので、さすがに歌い手が書いたテキストだと感心したものです。
 登場人物はもちろん3人。ヒロインの王女、その母親の女王木こりの若者という、いかにも童話的な顔ぶれで、それは良いのですが、全員がソプラノだというのが少しばかりネックです。若者役くらいはメゾソプラノあたりにしたいところですが、やむを得ません。残念ながら全員にソプラノらしいメロディーを与えることはできないかもしれません。
 ただ、ユニットのサイトを見ると、得意とする音域は少しずつ異なっているようでもあるので、なんとかなるだろうと思いました。

 とはいえ最初、最高音であるコロラトゥーラ・ソプラノの人が「女王」役をやるようなことを言ってきたものですから、意見をつけました。
 どうもモーツァルト「魔笛」以来、おとぎ話の女王様といえばコロラトゥーラ、という固定観念が生まれてしまったようです。しばらく前に、日本人の作曲による「不思議の国のアリス」のオペラを見に行ったことがあるのですが、劇中に出てくるハートの女王役がまさにコロラトゥーラ、というかどう聴いても夜の女王の線を狙ったとしか思えない書き方をしていました。それがうまく真似できていればまだ良いのですが、曲も歌手も、
 「あいたたたた……」
 と言いたくなるようなシロモノで、ハートの女王のやたら長いアリアが終わるまで、なんだか手の届かないところをずっとくすぐられているようないたたまれなさを感じて仕方がなかったものです。
 今回のお芝居の女王様は、毅然、堂々とした森の女王様で、夜の女王やハートの女王みたいなヒステリックなオバハンではありません。コロラトゥーラはやめておいたほうが良いでしょうと助言しました。助言というより、私が書くのに難儀しそうなので、予防線と言うべきかもしれません。
 幸い私の意見が通って、役柄を王女と入れ替えて貰えました。

 スケジュール的にタイトすぎるので、最初に呈示された「9月上旬」までにまず第一便を送る、ということにして貰いました。半分かもう少しをそれまでに仕上げて送り、残りは追い追い、ということでなんとか納得して貰え、約束通り上旬終わりの10日に、6曲まで送ることができました。現在追い込みにかかっているのは、残り2曲です。何しろフィナーレが含まれているので、盛り上げるのに手間取ります。
 伴奏はピアノだけで、その点楽ではあるのですが、他の楽器が入っていたほうが盛り上げやすいという一面もあります。
 なんとか最後の盛り上げ前まで書いて、いささか煮詰まったところです。煮詰まるとどうなるかというと、いろんな症状がありますが、調性的な曲の場合は、コード進行がワンパターンになるというのが私の通弊のようです。少し間をあけると、また打開策が見つかったりするので、今日はここまでにしておこう……と思って日誌を書き始めた次第。
 週末までに仕上げたいものです。

(2011.9.15.)

初演始末

 2011年9月に書き上げた小音楽劇「おばあさんになった王女」の初演がおこなわれました。
 作曲を依頼されたのが7月末で、かなり大急ぎの仕事でしたが、なんとか8曲よりなる付随音楽を書き、その後何回かリハーサルに顔を出して、今日が本番であったわけです。
 場所は「萩中おおたっ子クラブ」というところでした。この月曜に現地に行ってきましたが、小学校の敷地内の奥のほうにある施設で、要するに児童館なのでした。その「お遊戯室」のようなところで上演することになります。照明も音響も使えませんし、楽器は古い電子ピアノがあるだけでした。電子ピアノも最近のはだいぶキータッチなども改善されてきましたが、古いものはどうしてもタッチコントロールが充分でなく、演奏者に無理を強います。今日のピアニストである経種美和子さんも大変だったろうと思います。
 舞台装置は、手作りの森の背景が1幅と、背の低いパネルが2幅で、ごくシンプルなものでした。この芝居をあちこちに持ち歩くことになれば、この程度で済むのは便利と言えそうです。

 La Canorのメンバーのひとりがこの児童館につてがあり、その関係で今度の上演がおこなわれたそうです。去年もクリスマスソングなどを歌う会を持ったそうですが、オリジナルの音楽劇を作ろうと考え、面識も無い作曲家に作曲を依頼するなどというのは、かなり心臓の強い、もとい行動力のあるユニットと言えます。
 公立の児童館の催しですから、潤沢な予算が用意されているわけではありません。今回もほとんど持ち出しであったようです。事情を知ると、作曲料を貰ったのが申し訳ないような気がしてこないでもないのですが、私もボランティアだけでやっていられる身分でもないため、まあそのことはそのこととして(苦笑)。

 児童館といえば、私が自分の作品を公開の場で発表した最初は、家の近くの児童館のお楽しみ会でのことでした。お楽しみ会の出し物として、児童館の常連の子供たちのグループで、人形劇だったか普通の劇だったか忘れましたが、とにかくお芝居をしたので、私もそれに参加していました。その芝居の台本の途中に、ひとつ挿入歌があって、本来なんらかのメロディーがついていたのかもしれませんが、その場ではわからなかったため、私が作ったというわけです。小学3年生の頃でした。
 それまでも曲を作ってはいましたが、家の中でピアノで弾く程度でした。不特定多数の「お客」の前で演奏された私の最初の曲が、その劇中歌だったのです。
 芝居の内容も憶えていませんし、曲も、最初のフレーズが

 ──わしの毎晩見る夢は……

 という歌詞で、その部分のメロディーはうっすら憶えているものの、あとはどんな歌であったのかすっかり忘れています。
 私はこの歌のところで、足踏みオルガンで伴奏を弾きました。あとで、芝居を見ていた他の子から、「オルガンが上手だった」と褒められましたが、曲そのものについては特にコメントされませんでした。思うに、いかにも「ありそうな」曲であったために、オリジナル曲であるとは誰も思わなかったのではないでしょうか。小3で「ありそうな」、つまり「違和感のない」曲を作れたのはいま考えると大したもので、38年前の自分を褒めておきます。
 このことは、ずっと忘れていたのですが、後年音楽劇に関わり、それを自分の創作のメインにしてゆこうと決めてからふと思い出し、何やら不思議な気がしたものです。
 高校時代くらいまでは、私はほとんどピアノ曲ばかり書いており、歌ものはごく少なかったし、ましてや劇音楽など無きに等しかったのに、その中でお芝居の挿入歌がいわば「デビュー作」であったことに、因縁めいたものを感じました。

 さて、今日は朝から氷雨が降りしきっていましたが、開演時間の11時近くなると雨はほとんど上がりかけていました。ただ冷え込みは厳しい一日でした。
 平日の11時という上演ですから、対象とするのは主に乳幼児連れのお母さんです。あと、近くの保育園の園児たちが聴きに来ることになっていると聞きました。
 出演者たちは8時頃から現地に行って準備をおこなっていたようです。私は開演までに来れば良いと言われていたので、9時半頃に家を出ました。品川まで京浜東北線で1本ですが、快速運転タイムでないため、だいぶ長旅の印象があります。品川から京急エアポート急行に乗り、空港線大鳥居で下車します。近くにわりと大きな児童公園があり、その中を突っ切ると萩中小学校に突き当たります。児童館はその奥にあり、門は共通です。
 門は常時施錠されており、中に入るにはインターフォンで事務室に連絡して解錠して貰わなければなりません。警備がずいぶんと厳しくなっています。
 インターフォンに向かってどう言おうか、私は少々迷いました。月曜に訪れた時に、児童館の職員の皆さんとは挨拶をかわしたものの、名前をちゃんと伝えてはいないことに気づいたのでした。名前を言ってもわかってくれるかどうか。かと言って、「音楽会の関係者です」とか「作曲者です」とか名乗るのもなんだか変な気がします。
 あれこれ考えながら門の前へ行くと、ちょうど自転車に乗った男性が、小学校に用があるらしくインターフォンに向かって話しかけているところでした。すぐに門が開いたので、私も続けて入ってしまいました。児童館に着いて、「あら、いつインターフォン押されました? どうやって入ってらっしゃいました?」などととがめられるかな、と思いましたが、別にそんなことはなく、
 「どうぞ、いちばん奥の部屋です」
 とにこやかに迎えられました。

 お遊戯室をほぼ半分に区切り、奥の半分を舞台に、手前の半分を客席に宛ててありました。客席と言っても椅子などは置いてありません。みんな床に腰を下ろして観ることになります。ただし、私と、写真撮影を頼まれていた年輩の紳士とその奥様らしい女性の分だけ、うしろの壁ぎりぎりに丸椅子が置かれていました。
 お客は三々五々入ってくるわけではなく、一旦別室に集められてから、まとめて入ってくるという形になっていたようです。11時になっても誰も来ないので、これは雨だったり寒かったりしたからみんな観に来るのをやめたんではあるまいか、と心配しましたが、やがて職員に導かれて続々と入ってきました。満員というほどではありませんが、保育園の子供たちが先生に連れられて入ってくると、ほぼ床が埋まった感じです。

 歌い手には最初のうち少々固さがあるようでしたが、だんだんノリが良くなってきました。電子ピアノは残念ながらやや音が小さかったようです。ボリュームはマックスだったのですが、すぐ前に舞台装置のパネルが置いてあったせいで、音が吸われてしまったかもしれません。月曜にリハーサルした時には、舞台装置を置かなかったため、わからなかったのです。スピーカーをつないだほうが良かったように思われます。それでなくとも電子ピアノというのは、近くで聴くと大きな音がするわりには、あまり遠くまで音が飛ばないものです。まあ、違和感のあるバランスというほどではありませんでしたから、良しとすべきでしょう。
 乳幼児はさすがに何人か騒ぎ始めて、途中退場したのが3、4組居ましたが、保育園の園児たちが全員ほとんど身じろぎもせずに、食い入るように舞台を見つめていたのが驚きでした。
 いちばん観劇態度に問題があったのは一部のお母さんがたで、ひそひそと私語を交わしたり、携帯電話をいじくっていたりしました。しかし、最後の2曲くらいになると、歌に合わせてからだを揺らしたりしていましたから、気に入ってはくれたのでしょう。

 私は作曲にあたっては、子供向きだということはほとんど考えませんでした。歌い手も子供だとでもいうのなら、それは当然配慮しなくてはなりませんが「ま昼の星」のように、児童合唱団からの委嘱にもかかわらず、「子供が歌うということはあまり考えないでください」と注文される場合もあるとはいえ)、歌い手もピアニストもプロなのですから、プロが演奏すべき曲を書くまでのことです。
 世の中に「子供向け」のオペレッタというのはけっこうあって、それ専門の本も何冊も出ているくらいですが、残念ながら台本作者も作曲者も、「子供向け」ということをはき違えているように思えるものが少なくありません。「子供向け」ではなく「子供だまし」じゃないかと言いたくなるようなものもよく見かけます。逆に、変に子供に媚びているのも目につくのです。
 「子供にはこの程度の内容にしておかないとわからない」とか「子供はリズミカルな曲でないと乗ってこない」とか断ずるのは大人の驕りというもので、「良い物」を作れば必ず子供にも伝わると私は思います。ただ飽きるのが早いのは事実なので、「短さ」はある程度必要でしょうが。
 子供向けなどということは意識せずに、ICHICOさんの書いたテキストを最大限活かそうと考えました。市橋さんは子供相手の仕事が多く、子供に正面から向き合った台本を書いたものと思います。前にも書きましたが、歌う人の書いたテキストだけあって、メロディー化するのはずいぶん楽でした。そうしたもろもろの条件が揃った結果、4〜5歳の子供たちが全篇身じろぎもせずに惹きつけられるような舞台が作れたことは、喜ばしい成功であったと考えて良いでしょう。
 0〜3歳のほうは、むずかるのはまあ仕方がありません。それでも、
 「この前人形劇が来た時に較べると、ずっとましでした」
 と児童館の人は言っていました。

 この音楽劇、実はすでに再演が決まっています。
 再演と言うより、改訂版初演ということになりそうですが、来年2月19日に、川崎市すくらむ21というところで開催される文化祭みたいなイベントの中で、ホールイベントのひとつとして発表できることになったのでした。
 いろんな団体がエントリーして、実際に出演できるのは5団体程度だという話で、ダメモトで応募してみたところ、なんと当選してしまったそうです。
 ただしこのすくらむ21、本体は男女共同参画センターで、そういう趣旨の機関であるため、いろいろうるさいことを言ってきたらしい。「おばあさんになった王女」というのは、高年齢者に対してネガティブな内容であるため、作中の王女さまが呪いでお婆さんに変身するという点を変えて貰いたい、というようなことを要求されたそうです。当然ながらタイトルも変えざるを得ません。幸い劇中歌で、その変更に抵触するものはありませんでしたから、曲を書き直さなければならないということは無さそうですが、台本は趣旨を変えなければならず、市橋さんは頭を抱えていました。お婆さんがダメなら、動物になるとか、人形になるとか、いろいろ考えてもどうもぱっとしない感じです。
 どうなるやらまだわかりませんが、ともあれ今度は入場が自由ですので、ご興味がおありのかたはぜひご来聴ください。

(2011.12.9.)

再演近づく

 子供向きオペレッタ『おばあさんになった王女』が、狛江市泉の森会館ホールで再演されることになり、先日から稽古に入っています。
 初演時のエントリーの末尾に、「再演が決まっている」ということを書きましたが、実はその話は流れました。
 少し具体的に言うと、ある「男女共同参画センター」のイベントで再演するはずだったのですが、その主催者から、かなりうるさい注文がつけられたのでした。まず、ヒロインのお姫さまが呪いで「おばあさん」になってしまうという筋書きが、

 ──高齢者に対してネガティブな内容である。

 という理由で、再考を要求されました。そんなことを言っても、そこを変えてしまうとタイトルすら違ってきてしまいます。バカな話ですが、そこのイベントでは「魔法使いのお婆さん」が出てくるようなお芝居はご法度なのだそうです。それでも「ヘンゼルとグレーテル」が上演されたことはあるらしいのですが、それは「よく知られた昔話」であるからであって、新作の場合は却下ということなのでした。よく知られた昔話でも、「浦島太郎」はNGだったとか。

 理不尽な要求のように思えましたが、それでも再演するのが大切だということで、台本作者のICHICOさんは頑張って台本を書き直しました。お姫さまにかかる呪いは、おばあさんになるのではなく、動物になるということでなんとか辻褄を合わせました。タイトルも「魔法をかけられた王女」と変更したのでした。幸い、歌の部分には「おばあさんになった」ことを明示する歌詞は含まれていなかったので、私が曲を書き直す必要はありませんでしたが、少々時間が短かったために、1曲追加しました。
 ところが、男女共同参画センターからのクレームはそれだけではなかったのです。

 ──これ、男性の助けによって女性が自分を取り戻すって話ですよね。助けるのが男性である必要ってあるんですか?

 La Canorはソプラノ3人によるユニットの音楽劇ですが、ひとりは男役となっています。確かにその役(木こりの若者)がお姫さまの呪いを解くきっかけを与えてくれるわけなのですが、自立した女性のサポートをしたい男女共同参画センターとしては、男に助けられる筋書きでは承知できないというわけでした。
 なんというか、形骸化したフェミニズムの愚かしさというものを感じずにはいられません。女性の自立は結構ですが、自立というのは何も、誰の助けも借りずに唯我独尊的に生きてゆくことではないはずです。生きるということは、他者と助け合うということでもあるでしょう。その他者が女同士ならOKだが男はダメ、などというのもばかばかしい限りです。そんなのは「共同参画」でもなんでもありません。
 ICHICOさんもあきれはてて、そこでの再演を諦めました。センター側もなかば、辞退を期待しているような態度であったそうです。

 そんなわけで当初の再演の予定は流れてしまったのですが、La Canorのかたがたはなかなか行動力があって、ほどなくホールをおさえて上演の段取りをつけてしまいました。サイトのMIDIファイルを試聴しただけで、まったく面識もつても無い作曲家にオペレッタの作曲を依頼してしまうという勇敢な(笑)人たちなので、それも不思議はないと言うべきでしょう。
 上記のイベントでの上演であれば、若干ギャラも出たようなのですが、今度は自主公演ですから、おそらく持ち出しとなるはずです。それでもこの作品を再演したいと考えてくれたことは、私としても大変ありがたい限りだと思います。
 高齢者にネガティブだなどと文句をつける手合いはもう居ませんので、心おきなく、元のタイトルに戻しましたし、動物に変身するということにした変更ももちろんキャンセルしました。
 変更にあたって、追加は2曲頼まれていたのですが、その片方はお姫さまが動物に変身するという筋書きに沿った歌で、幸いと言って良いのかどうかわかりませんが、そちらに着手する前に男女共同参画センターでの上演とりやめが伝えられました。それで、そちらの曲はさしあたって作曲しないことにしておきました。その時点ですでに作ってあったもう1曲は、呪いにかかったお姫さまの「嘆きの歌」で、別に何に変身したという具体的な歌詞があるわけではないので、今回の再演ではもちろん採り入れます。従って、この歌だけは今度が初演ということになります。

 稽古は主に、武蔵新城というあまり馴染みの無い場所でおこなわれます。去年の初演の前に何回か通いましたので、だんだん馴染みは出てきましたが、川口から行くのはなかなか大変です。
 最短時間の経路と、いちばん安い経路と、いちばん楽な経路というのがみんな違うというのが厄介な場所です。
 往路で言えば、最短時間経路は、赤羽湘南新宿ラインに乗り換え、武蔵小杉南武線に乗り換えるというルートになります。
 ところが、渋谷から武蔵小杉を、東横線を使うほうが安いので驚きます。最短時間ルートでは620円かかりますが、東横線をはさむと500円で済んでしまいます。JRだけで行くよりも、間に東横線をはさんだほうが安くなるという運賃設定はどうしたものかと思います。
 最短時間ルートでは乗り換えが2回必要です。東横線を使う最安値ルートは、さらに1回増えます。しかも、どちらのルートでも、武蔵小杉の乗り換えはかなり遠く、とりわけ最短時間ルートではほとんどひと駅分歩いているのではないかと思われるような不便さなのでした。
 そこで、乗り換えの少ないいちばん楽なルートを考えると、京浜東北線で川崎まで行き、そこで南武線に乗り換えるという行きかたなら、1回だけで済みます。しかも川崎の乗り換えはそれほど歩かされることはありません。ただ、もちろん全体の時間は他の2ルートよりもだいぶかかります。運賃はJRの「近郊区間では実際の乗車経路にかかわらず最短距離で計算する」という規定により最短時間ルートと同じです。
 その時その時の事情に従ってルートを選ぶことになります。まあ、ある意味ではそれもまた楽しいのですが。
 今日の稽古などは、他にまわる場所も無かったので、行きは最短時間ルート、帰りはいちばん楽なルートで移動しました。行きは気がせいているので、どうしても最短時間を使ってしまいます。帰りは少し疲れていたので川崎まわりで帰ってみましたが、1時間近くに及ぶ京浜東北線の車中で少し眠ることができました。

 子供向けの音楽劇ですが、私はもちろん本気で作りましたし、歌い手のLa Canorの面々も本気で歌っておりますので、大人が観ても楽しめると思います。

(2012.5.24.)

再演

 『おばあさんになった王女』の上演をやって参りました。
 会場の泉の森ホールというのは、小田急狛江駅の改札を出て、駅に沿って1、2分歩いたところにある小さなホールです。広さは学校の教室くらいで、50人も入ればけっこうギュウ詰めという観になります。施設側によれば定員80名とのことですが、講演会くらいならそのくらい入るかもしれませんけれども、音楽会、しかも今回のように舞台装置や演技を伴う催しとなると、そんなには詰められません。今回は、大人子供を合わせて60名を定員ということにしたようです。実際には数名オーバーしたらしいのですが。
 建物は「泉の森会館」という名前で、1階がイタリアンレストラン、2階がギャラリー兼用の喫茶店、3階がホールということになっています。ホールの入り口は少し地味で、はじめて行くと迷うことがあります。なお、「泉の森」という名前は、狛江駅北口にある弁財天池に由来しています。弁財天池は古くからの湧き水で、この辺の地名である「和泉」の元になったとも言われ、周辺地域の水利に役立っていましたが、昭和47年に一旦涸れてしまいました。その後史跡に指定され、復元工事がおこなわれて、現在では湧水はわずかですが池そのものは元通りになっています。池は泉龍寺の境内にあり、周囲は樹々が鬱蒼と生えており、これが「泉の森」の所以(ゆえん)でしょう。狛江駅北口にはじめて下り立つと、駅前にいきなり森があるので驚きます。

 公演は14時半開演、従って開場が14時ということだったのですが、関係者がホールに入れるのは12時半からということだったので、どうも相当あわただしいことになりそうだと思いました。ごく簡単ではあるものの大道具があり、それを組み立てて設置するだけでも30分以上かかるはずです。しかし、午前中は何か別の団体が使っていたという話なので、やむを得ません。
 ホールと言っても、舞台がしつらえてあるわけではありません。ということは舞台袖といったものも存在せず、出演者の入退場のしかたも少々頭を使う必要がありました。出演者というのはLa Canorの3人と私ですが(今まで書き忘れていたかもしれませんが、今回は私がピアノを弾くことになっています)、女王さまやお姫さまの扮装で客席の通路を通ってゆくのはさすがにどうかと思います。舞台後方というか部屋前方にドアがついているので、そのドアの開閉がわからないように幕を張り、そこから出入りすることにしました。しかしそのドアの外はいきなり建物の外、つまり非常階段になっています。今日は朝からずっと雨模様だったので、衣裳をつけた状態で一旦階下に降り、非常階段を昇ってドアまで行くのはなかなか大変だったでしょう。なお私と、木こりの若者役の宮崎歩さんは、客席側から入場します。
 控室として使わせて貰う小部屋も同じフロアには無く、2階に降りなければなりません。なかなか手間がかかりますが、こういう小さなホールを使う際は致しかたありません。
 文句ばかり言っているようですが、曲がりなりにも照明装置が簡易とはいえちゃんとあるのがこの会場の取り柄で、照明係もひとりつけていたため、前回の児童館での上演に較べ、相当に劇的な効果が得られたと思います。

 設営は案の定手間取り、リハーサルは場当たり程度で済ませなければなりませんでした。照明も入ることですから、本当は本番通りの手順でゲネプロをおこなわなければならないのですが、何しろ時間が無いので、なかばぶっつけ本番です。控室はギャラリーや喫茶店に隣り合わせで、別に防音もしておらず、歌い手の3人がろくに声出しもできなかったのは気の毒としか言いようがありません。
 最初から開演は5分押し(5分遅らせる)予定だったらしいのですが、設営の手間が順々に響いて、結局控室を出たのは当初の開演時刻より10分後でした。
 しかも予想外のアクシデントが発生しました。お姫さま役のICHIKOさんと女王役の永井愛実さんが、ドレスをまとった姿で1階に降り、公道を走って非常階段を昇り、ドアから入って大道具の後ろにスタンバイしようとしたところ、なんとそのドアの錠が開いていなかったのです。内側からしか開けられない錠でした。
 あとから考えると、スタンバイのタイミングを合わせるために、お姫さま女王さまに同行した誘導のスタッフと、こちらに居る宮崎さんが携帯電話を持っていたのですから、電話をよこして受付スタッフにでも鍵を開けに行って貰えば良かったように思いますが、誘導スタッフはだいぶ動転したようで、みずから客席入口のほうまで駆け戻ってきて鍵を開けました。
 そんな事故があったため、開演はさらに遅れて、15分ほどの押しになってしまいました。お客には小さい子供が多く、それ以上押したら収拾がつかなくなったかもしれません。実際、客席扉の外で待機していると、だいぶ子供たちが騒ぐ声が聞こえてきました。
 しかし、お姫さまの短い口上がはじまると、ピタリと静かになったので、かえって驚きました。

 『おばあさんになった王女』は、ほぼ40分の音楽劇です。
 子供が観る芝居としては、このあたりが限界でしょう。そういえば私の最初のオペラであり、やはり子供向き作品である『こおにのトムチットットットット』もやはり40分くらいでした。
 その40分のあいだ、大声を上げたりする子供がひとりも居なかったのは、ある意味偉観と言って良かったかもしれません。
 お姫さまが呪いにかかってお婆さんの姿になって登場した時、子供たちが息を呑む気配がありましたが、それでも泣き出したりする子は居ませんでした。あとで聞くと、ひとりだけ怖がって子供用のゴザ席から逃げ出した子が居たそうですが、それもごく静かな退席で、ピアノを弾いていた私にはわかりませんでした。
 呪いが解けてお姫さまが元に戻るシーンでは、明らかにホッとした空気が流れたそうです。これも私は弾いている最中なのでわかりませんでしたが、お客からあとで聞きました。
 自画自賛のようではありますが、子供たちが大いに引き込まれていたのは確かなようです。
 台本のおかげか、曲のおかげか、演奏・演技のおかげか……いや、それらがバランス良く配合されていたのが良かったのでしょう。特に、セリフ部分と歌部分とのタイミングのバランスが絶妙だったと言えます。セリフが続いて、少し飽きてくるかと思われる頃に歌が入るということの繰り返しで、このバランスの良さ、ICHIKOさんの処女台本であるとはとても思えないほどです。さらに今まで何度か書きましたが、歌い手の作ったテキストだけに、歌詞が実にメロディーに乗りやすいのでした。ひょっとして大物脚本家の誕生かもしれません。ぜひ次回作を期待したいところです。

 個人的には少なからず小事故がありましたし、出演者各自にそれはあったと思われますが、幸いお客にバレバレというほどの致命的な事故は無く、無事に終演を迎えました。私について言えば、もう少しピアノを弾きやすく書いておくのだったと後悔しきりということで(笑)……自分の曲なのだから自分で弾きやすく変えればいいじゃないか、と言われそうですが、なかなかそう器用にはゆきません。下手にいじると、そこが気になってかえってミスが多くなったりしてしまいます。
 ずっと雨だったのに、客入りが予定人数をほとんど下回ることがなかったのは見事でした。何人かはキャンセルがあったそうですが、その分予約無しのお客も何人かあったそうで。なお、今回の公演はチケットを発行せず、予約を受けて名簿を作成し、当日精算するという方式でした。この形だと、出演者から直接案内されたりした場合、チケット方式よりもかえってキャンセルしづらい感覚になるのかもしれません。

 設営が大変とはいえ、普通にオペラやオペレッタをやるよりはずっと簡単に舞台が作れますし、長さも手頃だし、子供たちに受けがいいのももはや証明されたようなもの──そういえば児童館での上演の時も、さすがに乳幼児は若干泣き始めましたが、保育園の園児たちなどは最初から最後まで食い入るように眺めていました──ですから、あちこちに持ってゆけるはずです。今回で終わりにせず、また上演機会があると良いと思います。
 また、照明係のみならず手伝いのスタッフが何人も参加し、ICHIKOさん曰く

 ──打ち上げにこんな人数(10人)が集まったのはCanor始まって以来。

 とのことでした。ちなみに打ち上げは狛江駅近くのスペイン料理店でおこないましたが、このチームでまたやりたいね、という空気になっていました。La Canorとしては宗教曲とか童謡唱歌などを交えた、いろんなタイプのコンサートをやってゆきたい気持ちがあるようで、音楽劇ばかりということになるのも少し二の足を踏むところがありそうですが、こうなると、今回のような企画を活動のひとつの大きな柱にしてゆくことを本気で考える必要があるかもしれません。ICHIKOさんも個人的にはひとつふたつ腹案を持っているような口ぶりで、他のふたりがどう言うだろう、という点が気になるようでした。
 音楽劇は私のライフワークのひとつでもありますし、また一緒に仕事ができればと念じます。

(2012.6.9.)

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