忘れ得ぬことども

子供と遊び

 私は外で遊ぶよりも、家の中で本を読んだりしているのを好む子供で、両親からは
「もっと外へ出て遊んできなさい」
と叱られるほどでしたが、いま考えてみると、かなり外でも遊んでいたように思います。少なくとも、最近の子供たちの有様を見ていると、はるかにアウトドア指向だったと思うのです。
 父の会社の社宅に住んでいたので、外に出れば同じような年齢層の子供たちがたいてい何人か遊んでいました。遊び相手に困るということはあまりありませんでした。塾に通っている子もいましたが、毎日というわけでもありません。何曜日は誰ちゃんは駄目、というようなことは大体わかっていたのです。

 いろんな遊びをしました。鬼ごっこひとつにしても、様々なヴァリエーションがありました。
 缶蹴り泥警などはかなり全国区で有名ですが、その他にも十字架鬼高鬼色鬼ブランコ鬼などなど、その日の気分やメンバーによって遊び方を変えていました。
 ルールなども、その場その場で自由にアレンジしながらやっていたように思います。
 野球に類するものとして、ハンドベースボールなる、バットもグローブも用いない遊びがありました。ピッチャーもキャッチャーも不要という省力化ゲームでしたが、それでも人数が足りない場合は、あっさりベースをひとつ減らして、三角ベースなるものにアレンジしてしまったのでした。
 人数や道具の足りないところは、子供なりの智慧で補って遊ぶ。
 テレビゲームには、残念ながらその要素がありません。大事なことだと思うのですが。

 いま思い返して、よかったなあと思うのは、その頃の遊び相手は、年齢層は近いけれど必ずしも同学年ではなかったということです。時には学校に上がる前の子が一緒だったりもしました。
 当然ながら、体力にも理解度にも差ができます。
 その場合でも、子供なりにそれらを補おうという努力がありました。

 「おみそ」という、素晴らしい制度がありました。地方によっては「おまめ」などという呼び方もあるようです。これは仲間に特に小さな子が含まれていた場合、その子は遊びに参加させてあげるのですが、鬼ごっこならつかまえられても鬼にならなくてもよい、ドッジボールならボールに当たっても外野に出なくてよい、などなどの特典が与えられるというものです。それでは面白くないだろうというのは大人の考えで、小さい子は、そういう形で大きい子に混じって遊べるだけで充分楽しいのです。また、学年が上がって「おみそ」扱いされなくなった時の喜びもひとしおでした。
 考えてみれば、「おみそ」というのは、そのゲームにおける義務抜きでプレイに参加することにより、大きい子から遊びのルールを教えて貰う手段なのであり、非常に合理的な方法だったと思うのです。
 小さい子は、「おみそ」として参加することによってルールを覚えます。必ずしもその遊びのルールだけではありません。自分のワガママがどこまで許されるのかどういうことをすればみんなが怒るのか、いわば「社会のルール」のようなものの雛形を、そうやって学んでゆくのです。相手は自分より大きい子なので、ワガママを通そうとしても絶対にできませんから、これほど効果的な社会学習はないでしょう。
 一方、大きい子もそれによって学ぶものが多々あります。自分より弱い者をいたわること責任感を持つこと、などは、小さい子を交えて遊ぶことによって大いに身につきます。

 昔もいじめっ子はいましたが、それなりに責任感があって、いざという時には小さな子たちをかばったものでした。言ってみれば侠客のような心意気があったようです。その点、今のいじめっ子とはまるで違っていたように思います。今日びのいじめっ子は、ただただ自分の鬱憤を弱い者にぶつけているだけで、なんの心意気も感じられません。昔の任侠と今の暴力団の差以上のものがあるように見えます。
 子供たちがあまり外で遊ばなくなったこと、なかんずく年齢の違う子供と遊ばなくなったことが、最近の子供たちの心の荒廃と深く関係しているように思えてなりません。

 子供にとって、親よりも教師よりも、年齢の近い近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんから学ぶことの方が大きい場合がままあります。大人にできることは、そういうことができる環境を調えてあげることくらいではないでしょうか。
 地域の児童館などで細々ながらそういった試みがなされていますが、大人の職員による監督のもとでといった感が強くて、今ひとつすっきりしません。監督なんかしなくてもよいと思いますが、そうすると今度は、何か事故があった時の責任はどうなるのかというような話になり、途端に生臭くなります。
 子供が遊んでいて怪我をするのは当たり前のことで、別に誰の責任でもありません。怪我を繰り返しながら、血を流すことの痛み自分の運動神経の限界といったことがらを悟ってゆくのです。怪我をしなかった子供は、他人の血に対しても無関心になるでしょう。また、親が誰かの責任ばかり言い立てれば、怪我をしたことは自分の不注意や無茶のせいではないと思ってしまい、無責任な人間が拡大再生産されてしまいます。
 小さい子を持つお母さん、少し大きな子が外で遊んでいたら、勇気を持って、

 ──この子も仲間に入れて貰える? お願いね。

 と声をかけてみましょう。そして、仮にその結果お子さんが怪我をして帰ってきても、大きい子の責任を言い立てるようなことはやめましょう。仲間に入れて貰って負った怪我は、子供にとっては名誉の負傷であり、あとで必ず役に立つのです。

(1999.2.11.)

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